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【子どもを通して小さい頃の自分を知る②】
昨日のブログの続き…
風呂上がり、子どもがオムツを履くのを嫌がると、僕はオムツを被ります
子どもはオムツを僕の頭から奪おうとします
そして、そのまま履きます(笑)
んなことより本題ね
昨日の一連の流れの後、
「パパな、駿眞のこと愛しているんだよ、大好きなんだよ、だからお尻叩いたの。けど痛かったね、ごめんね」
この言葉を聞いて落ち着いてた長男は見事に大声で泣き始めた
ぎゅーっと抱きしめながらぶり返した鳴き声を聞いていると
なぜか自分まで涙が出てきた…そしてふたりで一緒に泣いて…
ちなみにふたりで泣いている時に嫁さんが部屋に入ってきて一言
『やっぱり』(笑)
完全に見抜かれてる…
あーまた本題から外れそうになった
実は僕、ある意味ちょっと変なくらい感情が出て
涙が流れる時があるのよ
それはね、子どもを通して幼少期の自分を感じているんだよね
小さい頃は泣き虫でなにかといつも泣いていた
涙が瞼から溢れそうになれば、
上を向いて頬を濡らさないようにしてた
目にゴミが入ったんだとかいう変な言い訳をして
泣いている姿は見せないようにしていた
人前で泣くことは恥ずかしい
人前で泣くことはみっともない
いつまにか弱虫や泣き虫を隠して生き、強がって生きてきた
昨日、瞑想中に過去のいろんなシーンがたくさん出てきたのね
共通して言えることは、誰かと仲直りした時に感じた安心感の涙
だから、駿眞の涙の理由がものすごくわかって泣けてきた
怒られたり、
はぶかれたり、
嫌われたり、
無視されたりしたことで
愛されてない、
見放された、
拒絶された、
心と心が切り離されたと感じていた
だけど、それは自分の勘違いだった
親の立場になる言った側の気持ちと
言われた側の気持ちがよくわかる
だからね、どんな状態でも
どんな状況でも
根っこの部分は愛に満ち溢れて
愛されまくったんだよね
どうしてもそうせざるを得ない状況があったのかもしれない
けどね、十分に愛されていたの
愛されているということを確認するために
愛されていたことを思い出すために
いろんな出来事を引き起こしているのかもね
『たくさん愛されていた』ということに気がついた時
自分の凝り固まった恐れが柔らかくなっていくかもね
【子どもを通して小さい頃の自分を知る】でした
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