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【問う】
僕たちは僕たちの人生を本当に生きているのだろうか?
僕は僕の人生を本当に生きているのか?
あたたはあなたの人生を生きていますか?
ここ1年くらい、こんな問いを自分にも他人にも
投げかける回数が増えた
自分に問い続けた結果、
去年の秋頃あることに気がついた
僕たちは周りの目線(世間体)を気にし、
普通、常識、当たり前の渦の中で生かされていることに・・・
そして、重要なのがその中に分裂と分断が行われていたのだ
政治、世論、テレビ、メディア、新聞、ラジオ、インターネット
あらゆる情報源から繰り広げられる世界は
正義を振りかざし、悪を叩き潰し
何かが正しくては何かが間違っていると形を創る
何かができれば素晴らしく、何かができなければ批判される
今まで積み重ねてきた素晴らしい過去が
ひとつの失言によって一瞬で崩れ落ちるなんてあたり前の世界
どんな状況でも批判する人間がいることに気づいていない
誰かが何か間違っていることをすれば揚げ足をとり、
悪者として吊し上げ被害者を創り出す
被害者が現れれば、必然的にその裏側の加害者が現れ、
人間の正義感を執拗に駆り立たせるように情報が錯綜する
こうあるべきだ、こうするべきだ
これが正しい、常識的に考えてこれが普通
こうしなくてはいけない、、、
僕たちは幼少期からこうやって無意識に
ジャッジメントという渦の中に生かされてきたのだ
それはまるですごい勢いのある流れるプールに流されているのと一緒だ
僕はそれでもなお、問い続けた
結果、さらにひとつの答えがみつかった
それは自分自身との分裂、分断だ
周りや社会に流されすぎて自分を見失ってしまってるんじゃないか
本来の自分の心を聞かず、周りを気にしては流され、周りの合わせる
それを繰り返すことによって、本来素晴らしい自分を否定すると同時に自分自身と切り離してしまったのだ
『自分の心の声』ってなに?という人もいるぐらいだ
僕たちは無意識に普通、常識、当たり前の流れるプールに流されながら生かされている
言い方を変えると集団催眠にかかってしまい深い睡眠状態だ
だからこそ、今この時代にそれに気づいている人は目立つ
誰かの成功体験は誰かのもので、あなたのものではない
誰かの幸せの形は誰かのもので、あなたのものではない
誰かの豊かさは誰かのもので、あなたのものではない
誰かの法則は誰かのものでしかないのだ
成功も幸せも豊かさもひとそれぞれあなただけの形がある
あなただけの形を探す旅を10月30日、31日に青森で開催します